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  • 執筆者の写真海の産屋HP編集部

金子遊さん(映画評論家)のコメント

更新日:2018年3月9日

映像作家で、去年(2017年)サントリー学芸賞を受賞された金子遊さんから、「むきだしの縄文―『海の産屋』と『廻り神楽』」というタイトルで、コメントをいただきました!

姉妹作の『廻り神楽』も含めたコメントになっていますので、是非併せてご覧ください


  

むきだしの縄文

 —『海の産屋』と『廻り神楽』  

               

 2011年の東日本大震災において津波被害にあった青森、岩手、宮城の三陸海岸では、復興事業の工事が進むにつれて、次々に遺跡や遺構が発掘されている。たとえば岩手県の大船渡市では、高台に縄文時代の貝塚が見つかり、縄文人もまた津波を避けたのではないかと憶測されている。また、宮城県の気仙沼市にある波怒棄館遺跡では、貝塚からマグロの骨が大量に出土して人びとの驚きを呼んだ。そこから見えてくるのは、縄文晩期の三陸沿岸には津波を予期し、外洋で大型魚を捕るような海洋文化があり、高度な漁具を使用していたことである。彼らは弥生時代に入ってからも、他の地方の鉄や米と交換するために、あえて専門的な漁撈文化を選択した「海の民」だったと考えられている。


海の民と縄文

 大津波によって表土がさらわれ、三陸海岸の地表に縄文時代からの痕跡がむきだしになったことは決して偶然ではない。なぜなら、縄文的な文化がこの列島にまだ息づいているとしたら、ひとつには、こうした海の民における生活習慣や世界観に見られるだろうからだ。北村皆雄・戸谷健吾が石巻市の雄勝半島で2012年に撮影したドキュメンタリー映画『海の産屋 雄勝法印神楽』を観て、そのように思った。この半島にある立浜集落には46軒の民家があったが、津波で1戸を残して被災したという。自分の船、そしてホタテやカキの養殖設備を失った漁師の末永さんは「むかしの人の語り草で、津波の翌年は海がいいんだって。山あり川あり潮の流れあり、そのミックスがいい、恵まれた海なんだな」と、震災後の1年後にカメラの前で平然と言い放つ。田畑を耕すための平地ではなく、山の養分が川を経て流れこむ豊かな海で生きてきた人の超然とした態度である。

 そんな末永さんは、600年つづくとされる「雄勝法印神楽」の担い手でもある。映画『海の産屋』は、祭りの前日に木材で舞処を組み立て、その十字にした天井の柱に、笹の葉を多く結びつける様子を見せてくれる。榊や笹といった常緑樹の葉は秋冬になっても枯れないので、むかしの人は神域に属する木だと考えた。その笹だらけになった柱こそが、折口信夫が考案した言葉でいう「依り代」、すなわち来訪する神が一時的にいる場所なのだ。さらにこの映画では、釜で湯をわかす「湯立て神事」をきちんと見せ、禰宜が笹の葉で集落の人に湯を浴びせる様子も入れている。このシーンによって、立浜の神楽が修験道の影響を受けていることがわかるようになっている。



修験道の他界観と神楽

 修験道といえば、土着のアニミズムと仏教が習合して平安期に成立した、山伏たちの信仰である。おもしろいことに修験道の他界観には、アイヌや沖縄・奄美と似たところがある。たとえば、この「雄勝法印神楽」を伝えたのは出羽三山・羽黒山の修験者だというが、かの地の修験道では、海辺にある海蝕洞窟があの世の入口とされ、死者の霊は集落の地底をとおって山頂にある鏡池までいき、その場所にとどまるとされる。そして死者は祖神になり、やがて山の神となって麓にある集落に豊穣をもたらすのだ。海と山からなる二元的な世界観のなかで、神や霊魂が海と山を往還する構造をもっている。そのことはせまい平地で暮らし、背後から迫りくる山々と眼前にひらかれた海の狭間を生きてきた、三陸の海の民にとっては自然なことだった。考古学者の瀬川拓郎は、アイヌの口述伝承や沖縄・奄美の風葬と洗骨の習俗にも同じ空間的な構造が見られ、それら三者は縄文に起源をもつ点で共通するという。[1]

 『海の産屋』に記録された神楽では、胴が一体、頭が五つの五鬼王が近くの島に住みつき、それを田中明神が退治をする「笹結」という演目が地域性を感じさせておもしろい。それから「産屋」の演目がクライマックスに据えられていることにも注目したい。神話では豊玉姫は海神の娘で、猟の得意な山幸彦(ヒコホホデミノミコト)の子を産むために海岸につくった産屋にこもる。「絶対に産屋のなかを見ないように」といわれた山幸彦が内側をのぞくと、姫は鱗のある蛇のような竜神の姿で子を抱いていた。この神楽では、紅白幕越しに山幸彦と豊玉姫がやりとりを見せたあとで、竜神に姿を変えた姫が荒れ狂う舞がくる。映画はそこに波のイメージをはさむことで、何度もこの地をおそった大津波を喚起する。「雄勝法印神楽」において「産屋」が中心におかれているのは、海の神と山の神の結びつきを描いたこの話が風土にあっており、同時にそれが記紀以前からの縄文的な海の民の世界観をよく表現しているからではないか。[2]



目に見えない神

 ところで、文章を読んでも中々イメージできないフォークロアが、写真や映像を見て腑に落ちるいうことがよくある。歌舞はその最たるものであり、現地で見れればそれに越したことはないが、映像によってその雰囲気に触れることくらいはできる。大澤未来・遠藤協が監督した『廻り神楽』というドキュメンタリー映画で、はじめて岩手県宮古市の「黒森神楽」の存在を知ったが、これもまた『海の産屋』と同じく修験者によって伝承されたものだという。映画の冒頭、ドローン撮影のカメラが空から海上を撮り、津波で更地になった宮古市街を見せてから山へと飛んでいくショットによって、海と山のあいだに生きる三陸海岸の暮らしを的確に示す。そのあとで「黒森山の山の神様は、ふだんは山の上にいで、海の衆を見守ってくれてます」というナレーション音声にかぶせて、黒森神社の外観と野生の鹿の姿を見せる。神社のお社は山の神の仮住まいにすぎず、本当は何かの動物の姿をしているのではないかと地元の信仰のあり方を想像させるシーンである。

 『廻り神楽』を観ていると、黒森神社に伝わる獅子頭の「権現様」ほど、平安時代以降の神仏習合を象徴する存在もないように思えてくる。山の神への信仰と仏教が結びつき、神仏が現世にあらわれるときの仮の姿が権現様なのだ。前述の『海の産屋』でゾッとしたのは、漁師の末永さんがガラクタ市で獅子頭を買ってきて「こういうので代用すばれいい」といって、そのまま獅子舞を踊ってしまう場面だった。海の民は「神様が目に見えない」ことをよく心得ており、獅子頭が依り代にすぎないことを知っているのだ。それに比肩できるショットが『廻り神楽』の冒頭にある。津波におそわれた海辺の防波堤近くを神楽衆が歩いてくるロングショットである。このイメージにわたしは「災厄に見舞われたとしても、もともと山の神は目に見えない存在なのだから、人びとの気持ちさえあれば、神楽とともに幾度でも復活してくる」という予兆めいたものを感じた。神楽衆が震災のあとに復活し、三陸の沿岸部を旅まわりしながら、公民館や民家で被災地の人たちに言祝ぐ姿を映像で観ていると、笛、太鼓、鉦拍子の「楽」があり、黒森神楽の派手な幕をおろして面をかぶった舞人さえいれば、そこが祭場になることがよくわかる。


山人と廻り神楽

 折口信夫は、日本列島の祭りの中心は、神が臨時にいる居処だといった。そのために「依り代」となる場所を建てるのが祭場であり、そこでは神が言葉を発し、人間が恩寵や祝福を請い願う場なのだ。「まつる」の語根の「まつ」は、単に期待して待つというだけでなく、じりじりと焦りながら神のお出ましを期待する意になるという。[3]それが岩手県久慈市と宮城県釜石市のあいだの村々で、廻り神楽を待つ人たちの心持ちであったろう。それでは神楽衆が何であるかといえば、折口的な表現でいうと、外からやってくる常世神になるか。この「まれびと」の一行が村々をおとずれ、天狗や鬼など悪さをする土地の精霊たちを踏み鎮め、いうことを聞かせるわけだ。折口は「山の神と常世神が行き交うての争いや誓いの神事演劇(わざおぎ)が初春ごとに行われた」ことが、列島における芸能の起源にあるとしている。[4]

 このとき村から村へ移動する山伏の集団(現代では神楽衆)は、山人であると同時に神と人とのあいだの「神人」であり、旅をつづけるうちに「黒森様」と呼ばれるようになる。つまり「巡行」こそが彼らを神そのものにする。『廻り神楽』で特に見ごたえがあるのは「山の神舞」の場面だ。お囃子のアップテンポな拍子にのって山の神があらわれるが、幕のむこうで足が見えるばかりで中々登場しない。祭りを「まつ」心持ちをあおる振り付けになっている。ここの山の神は女神であり、真っ赤な面はお産で息んだ顔をあらわすという。子を産むイメージと、豊穣をもたらす神の力が重ねられているのだろう。その次にくるシーンでは、左手の権現様の上に山の神の面を置き、右手の権現様にエビス神の面を置いて祀っており、縄文的な信仰と仏教が習合した黒森神楽のあり方をよく伝えている。古来から海の民はサメ、シャチ、クジラといった動物を豊漁の神エビスとして崇めてきた。浜に打ち上げられたクジラを食料にし、クジラがその体躯の下に魚の群れを引き連れてくることを知っていたからだ。 現代でも海からながめる高い山は、船の位置や漁場の目印になることを漁業者は知っている。そこには古代以前における海の民の信仰が残像としてあり、三陸の廻り神楽にも、海と山の縄文的な世界観が生きているのだろう。

[1]『縄文の思想』瀬川拓郎著、2017年、講談社現代新書、152頁

[2]同上165頁

[3]「ほうとする話」『古代研究Ⅱ民俗学篇2』改版初版、2017年、角川ソフィア文庫、200頁

[4]「山のことぶれ」同上229頁









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